関数の点収束と一様収束の違い
📂解析学関数の点収束と一様収束の違い
R の部分集合 E=∅ に対して、関数 f:E→R と関数列 {fn:E→R}n=1∞ を定義しよう。
点収束
全ての ε>0 及び x∈E に対して n≥N⟹∣fn(x)−f(x)∣<ε を満たす N∈N が存在する場合、E で fn は f に点収束すると言い、以下のように表記される。
fn→f
一様収束
全ての ε>0 に対して n≥N⟹∣fn(x)−f(x)∣<ε を満たす N∈N が存在する場合、E で fn は f に一様収束すると言い、以下のように表記される。
fn⇉f
解説
点収束 と 一様収束 の違いは、関数値が収束することと関数自体が収束することの違いと見ることができる。両方の収束を比較すると、違いはただ x∈E に言及があるかどうかだけ。数学者の視点から言えば、以下のようなニュアンスで書ける。
点収束: x∈E 一つ一つを見ると、ε>0 を与えた時に n≥N⟹∣fn(x)−f(x)∣<ε を満たす各々の Nx∈N は実際に存在する。
一様収束: ε>0 のみならず x∈E が何であれ、n≥N⟹∣fn(x)−f(x)∣<ε を単独で満たす N∈N が存在する。
もっと極端に言うと、関数に焦点を当て、点収束は「偽の収束」、一様収束は「本当の収束」とも言えるかもしれない。点収束と一様収束は、ある種の「収束速度」によって区別される。もちろん、どちらも最終的には収束するが、点収束は点それぞれを別々に見るために、それぞれの x に対して、Nx が存在しても構わない。逆に、一様収束する場合は、どんなx1 や x2 を見逃したりせず、E 全体で同時に、一斉に、∣fN(x)−f(x)∣<ε が成立するように強制する N が存在するのだ。
例
例として、E:=[0,1) で定義された以下の f,fn を考えてみよう。
f(x):=0
fn(x):=xn
0≤x<1 であれば、ε が何であっても n≥N⟹xn<ε を満たす N∈N が存在する。ε=0.5 が与えられているとして、三つの点 x7=0.7、x8=0.8、x9=0.9 だけを確認してみよう。
N7=2⟹0.72=0.49<0.5
N8=4⟹0.84=0.4096<0.5
N9=7⟹0.97=0.4782969<0.5
このように、各々の xr に対して、Nr がそれぞれ存在するので、fn が f に 点収束するのは正しい。しかし、このような方式では、xr が 1 に近づくにつれて、Nr も著しく大きくなる必要がある。どんなに大きな N∈N を提案しても、(0.9…9)N>0.5 を満たす (0.9…9) が存在しなければならない。したがって、一様収束ではない。
N8=4 は N7=2 までカバーできるかもしれないが、N9=7 までカバーできなかったことに注目してほしい。各々の x が 0 に収束するマラソンがあるとすると、N=6 の時にx9=0.9 が 0.96=0.531441 なので、収束速度が遅く、ε=0.5 より小さくなければならないという基準で「脱落」した。点収束はこれを許容するが、一様収束は許容しない。「いずれにせよ最終的には収束する」というゆったりした前提では不十分で、例外なく同時に収束する必要がある、それが本当の収束と呼べるのだ。