解析学の三つの公理:完備性公理
公理1
集合 $E \subset \mathbb{R}$ が空集合ではなく、もし $E$ が上界を持つならば、上限 $\sup(E) < \infty$ が存在する。
説明
体の公理や順序の公理は、知っていることを複雑に書き直した感じだが、完備性の公理は一見そうではない。まずはここで登場する単語に対する定義が必要だろう。
定義
$E$ の全ての元 $a$ に対して $a \le M$ が成り立つならば、$E$ を上に有界bounded aboveと呼ぶ。このような条件を満たす $M$ を全て、$E$ の上界upper boundと呼ぶ。$\sup(E)$ は$E$ の最小の上界であり、全ての$E$ の上界 $M$ に対して $\sup (E) \le M$ を満たす数である。これを$E$ の最小上界supremum, 上限と呼ぶ。
反対の不等号の場合は、以下のようになる。
$E$ の全ての元 $a$ に対して $a \ge m$ が成り立つならば、$E$ を下に有界bounded belowと呼ぶ。このような条件を満たす $m$ を全て、$E$ の下界lower boundと呼ぶ。$\inf(E)$ は$E$ の最大の下界であり、全ての$E$ の下界 $m$ に対して $\inf (E) \ge m$ を満たす数である。これを$E$ の最大下界infimum, 下限と呼ぶ。
突然定義がたくさん出てきて混乱するかもしれないが、根本的に我々の概念を揺るがすわけではない。ただどんな集合がいつ限界を持つか、その時限界を何と呼ぶかを定義するだけだ。
完備性公理に戻ってみると、上で紹介された定義を繰り返す感じがする。違いは簡単だ。定義では存在する時に何と呼ぶかだけを言っていて、本当に存在するかについては話していない。完備性公理では、その「存在」について話している。
しかし、これが公理であるべきかという疑問が生じるだろう。公理として必要なほど基本的な事実なのか?証明できないのか?定義を読むと、定義によって当然のようにこのような上限が存在し、証明できるように思えるが、そうではない。
反証
$E$ が上に有界としたならば、条件を満たす上界 $M$ があり、その中で最も小さい値が存在して、上限 $\sup(E)$ が存在するだろう。しかし、逆に考えてみると、$\sup(E)$ は$-M$ の中で最も大きい値、つまり上限である。そもそも最も小さい値が存在するという主張自体が上限の存在性を根拠にしている。これにより、循環論法に陥るしかない。
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上でも下でも、大きさに関係なく、議論の方向は逆になる。結局、我々はこのような上限や下限の存在性を明らかにできない。だから、新しい公理として完備性公理を作り出すしかなかった。
定理
整数の集合 $\mathbb{Z}$ の部分集合 $E$ が上限を持つならば $\sup(E) \in E$
完備性公理がなければ、こんなにも自明な事実でさえ、その仮定が疑わしいために信じられない。
完備?
完備とは、Completeの和訳で、実数空間 $\mathbb{R}$ を超えて距離空間で一般化されるとき、コーシー列の収束点を含む空間を完備空間と定義する。ただし、日常の中でCompleteという英語は完全に(完)備える(備)という意味で使われることは少なく、「完成」や「完結」など、何か続いているもののその終わりと共に使われることが多い。これは、述べられたように、収束点の存在(その空間内に)を保証する点から、completeという表現が適切であることが分かる。
もちろん、コーシー列を捉えることと$E \subset \mathbb{R}$ を捉えることは異なるが、$\mathbb{R}$ が可分性を持つといった説明はまだ早い。後でそんなことをまた学ぶんだと思って、先に進んでもいい。
William R. Wade, An Introduction to Analysis (4th Edition, 2010), p16-18 ↩︎