第一種過誤と第二種過誤の違い
定義
仮設検定で、$H_{0}$が真であるのに$H_{0}$を採用しなかった場合のエラーは第1種の誤りと呼び、$H_{0}$が偽でありながら$H_{0}$を採用した場合のエラーは第2種の誤りと呼ぶ。
説明
帰無仮説では「採用」という言葉を使い、対立仮設では「棄却」という言葉を使う。帰無仮設を支持する証拠が十分であれば「対立仮設を棄却して帰無仮説を採用すること」であり、帰無仮設を支持する証拠が十分でない場合は「対立仮設を棄却できず、従って帰無仮設を採用しないこと」である。
第1種の誤りがもっと深刻な例
裁判を例にすると、帰無仮設は「被告人は無罪だ」となるけど、本当に罪がない人を有罪と判断した場合が第1種の誤りだ。逆に、罪がある人であるにもかかわらず、有罪を証明できずに無罪と判断された場合は第2種の誤りだ。無罪推定の原則が「10人の殺人者を解放しても1人の無実の者を作らない」というだけに、第1種の誤りの方がはるかに重大であることがあり得る。
第2種の誤りがもっと重大な例
患者ががんにかかっているかを判断する場合、その帰無仮設は「がんがない」となる。診断のタイミングが治療の経過や予後に大きな影響を与えるため、正しくがん患者と診断できなかった場合のリスクはより大きい。大衆文化(映画、ドラマ)では、末期がんの誤診を受けて人生を謳歌する展開があるけど、実際に命に関わることであれば、ただ再検査をするべきだ。もちろんその間に心配もして、お金も使って、時間も使うけど、適切な治療が必要ながん患者を見逃すことよりはましだ。
第1種の誤りがもっと深刻になるべきでは?
そうではない。それは誤りを理解する方向が逆になっているからだ。社会的慣習、事案の重大性、誤りが発生した時のリスクは帰無仮設を定める基準になり得ない。重大な難病があるとしよう。この病気に対する診断法が開発され、帰無仮設が定められた場合、医学の進歩でこの病気が危険でなくなり、末期でも容易に克服できるとしても、帰無仮設が変わるわけではない。
より重大な誤りを第1種の誤りとして帰無仮設を定めるべきではない。帰無仮設としてより安全な状況を想定することは、仮設検定を第1種の誤りに逆に当てはめることに過ぎない。統計学を始めて学ぶ立場から、多くの場合、第1種の誤りの方が危険に見えるのは事実だけど、これは常識と偏見の間に留まるべきであり、科学的な事実として扱われるべきではない。(ある分野では、第2種の誤りが重大な例がはるかに多い場合がある。)