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2026年夏のおまかせ: パラダイムの転換 📂生エビ寿司誌

2026年夏のおまかせ: パラダイムの転換

紹介

科学はレンガを一つずつ積み上げるように知識を着実に蓄積して発展すると、よく考えられている。しかしトーマス・クーンThomas Kuhnは、科学の歴史を覗いてみるとそうではない瞬間があると語った。ある瞬間に古い世界観全体が崩れ去り、同じ現象をまったく異なる目で眺めるようになる飛躍。彼はこれをパラダイムの転換paradigm shiftと呼んだ。今回の夏のコースでは、物理学と生物学から始まり、解析学と確率論を経て機械学習に至るまで、ある分野の観点そのものが丸ごと覆った瞬間を用意した。

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古典力学 → 相対性理論

古典力学の世界では、時間と空間は絶対的である。どの観測者が見ても時計は同じ速さで進み、定規の長さは変わらない。互いに異なる速度で動く二人の観測者の座標は、ガリレイ変換を通じて以下のように単純に結ばれる。

$$ \begin{pmatrix} x^{\prime} \\ t^{\prime} \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} 1 & -v \\ 0 & 1 \end{pmatrix} \begin{pmatrix} x \\ t \end{pmatrix} \implies x^{\prime} = x - vt, \quad t^{\prime} = t $$

ここで変換が時間$t$にはまったく手をつけないという点に注目しよう。行列の下側の行が$(0, 1)$であることから見えるように、座標をいくら変換しても時間は常に$t^{\prime} = t$のまま返ってくる。時間とは、すべての人に公平に流れる宇宙の絶対的な背景でしかなかったわけである。しかし、光の速度が観測者の運動状態とは無関係に常に一定であるという事実が明らかになると、この堅固に見えた世界観は根本から揺らぎ始める。その座を代わりに占めたローレンツ変換では、空間だけでなく時間までもが観測者の運動状態によって互いに混じり合う。

$$ \begin{pmatrix} x^{\prime} \\ t^{\prime} \end{pmatrix} = \gamma \begin{pmatrix} 1 & -v \\ -v/c^{2} & 1 \end{pmatrix} \begin{pmatrix} x \\ t \end{pmatrix} \implies x^{\prime} = \gamma (x - vt), \quad t^{\prime} = \gamma \left( t - \frac{v}{c^{2}} x \right) $$

ここで$\gamma = 1 / \sqrt{1 - v^{2}/c^{2}}$は、速度が光の速度に近づくほど大きくなるローレンツ因子である。ガリレイ変換で$0$だった行列の左下の成分が今や$-v/c^{2}$となり、空間座標$x$が時間$t^{\prime}$を定めるのに割り込み始める。その結果、ある人にとって同時に起きた二つの出来事が別の人にとっては同時でなくなり(同時性の喪失)、動く時計は遅れて進み(時間の遅れ)、動く定規は縮む(長さの収縮)。絶対的な時間と空間という舞台が消え去り、観測者ごとに異なって見える時空がその座を占めたのである。

「時間と空間はすべての人にとって絶対的である」

「時間と空間は観測者によって相対的である」

古典力学 → 量子力学

似た時期に、古典力学はまったく異なる方向へも崩れていく。ニュートンの運動法則が支配する世界は徹底的に決定論的である。ある粒子の現在の位置と運動量を正確に知っていれば、方程式を解いてその粒子の過去と未来の軌跡を原理的にすべて割り出すことができる。粒子は一瞬ごとに定まった位置を持ち、定まった道に沿って動く。

しかし原子より小さな微視的世界へ下りていくと、この確信は揺らぐ。この世界を支配する量子力学では、粒子だと信じていた電子が波のように振る舞い、粒子の状態は定まった位置ではなく波動関数で記述される。しかもこの波動関数は、粒子が「どこにあるのか」ではなく「どこで発見される確率がどれくらいか」だけを教えてくれる。さらに不確定性原理によれば、位置と運動量を同時に正確に知ること自体が原理的に不可能である。

$$ \Delta x \Delta p \geq \frac{\hbar}{2} $$

決まった軌跡に沿って動いていた粒子が、確率の雲の中でのみ存在する何かへと変わったわけである。そしてこのように微視的世界を掘り下げた物理学者たちの視線は、ほどなくまったく異なる分野の扉さえも開け放つことになる。

「粒子は定まった位置と軌跡を持つ」

「粒子の状態は確率的な波動関数で記述される」

古典生物学 → 分子生物学

量子力学が物理学の地形を揺るがしていた頃、その立役者の一人であるエルヴィン・シュレーディンガーErwin Schrödingerは、生物学と量子力学の結合が最先端の科学になるだろうと考え、『生命とは何か』What Is Life?という本を著した。ジェームズ・ワトソンはこの本から着想を得てDNAdeoxyribonucleic acidの構造に関心を持つようになり、その後フランシス・クリックとともにDNAの構造が二重らせんであることを明らかにした。1 この内容は著名な学術誌であるNatureに、Molecular Structure of Nucleic Acids: A Structure for Deoxyribose Nucleic Acidという題の、1ページ足らずの短い論文として発表された。

長らく生物学は、生命体を観察し分類して生命現象をあるがままに記述する学問だった。何がどのように遺伝するかは分かっても、それがどんな物質でどのように実現されるのかは依然としてベールに包まれていた。ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックの発見によって、遺伝情報がどのように保存され複製されるのかが分子レベルで説明され始め、観察と分類にとどまっていた古典生物学は、生命科学の現象を分子レベルで説明できる分子生物学へと飛躍することになった。

「生命を個体レベルで観察し分類する」

「生命現象を分子レベルのメカニズムで説明する」

関数: 数の対応 → 集合の間の関係

もともと数学者にとって関数とは、数を数へ送る対応、それ以上でもそれ以下でもなかった。すなわち関数とは一つの公式のようなものだと考えられていた。ところが数学と工学が発展するにつれ、「関数を入力として受け取り一つの数を出す何か」、たとえば関数$f$に積分値$\int f dx$を対応させるような対象が必要とされ始めた。

$$ \begin{aligned} \text{classic function:} \quad & \text{number} \longmapsto \text{number} \\ \text{new object:} \quad & \text{function} \longmapsto \text{number} \end{aligned} $$

当時の数学者たちはこれをあえて関数とは呼べず、「関数のようなもの」fonctionnellesという名で慎重に呼んだ。今日われわれが汎関数と呼ぶ概念の出発点である。この違和感は、関数の定義が十分に広くなかったために生じたものである。その後、厳密な集合論が定着すると、関数は「数と数の対応」という狭い枠を抜け出し、二つの集合の元の間に結ばれた二項関係のうち特定の条件を満たすものとして再定義される。量子力学で波動関数に作用する演算子operatorも、このように関数を入力として受け取る写像の代表的な例である。

「関数は数を入れると数が出てくる」

「関数は集合の間の二項関係である」

リーマン積分 → ルベーグ積分

われわれが学部で初めて学ぶリーマン積分は、定義域を細かく分けることから出発する。$x$軸を細かく分割し、各区間の上に薄い長方形を立ててその面積を足し合わせる方式である。ほとんどのおとなしい関数には何の問題もないが、有理数で$1$、無理数で$0$の値を持つディリクレ関数のような病理的な関数の前ではこの方法は無力になる。定義域をいくら細かく分けても、各区間ごとに有理数と無理数がともに入っているため、上に取った面積の和と下に取った面積の和がそれぞれ$1$と$0$からなかなか狭まらないからである。

ルベーグ積分は発想を覆す。定義域ではなく値域を分けるのである。「関数値がこれくらいの点をすべて集めると、その大きさはいくらか」を問う方式である。ところがこうするには「点を集めた集合の大きさ」を測れなければならない。まさにこの地点で測度measureという概念が必要になり、長さと面積を厳密に一般化した測度論が誕生する。ルベーグ積分はリーマン積分が扱っていた関数をすべて含みながらも、はるかに広い世界を扱うので、リーマン積分の真の一般化と言える。

「定義域を分けて長方形の面積を足す」

「値域を分けてその原像の測度を足す」

確率: 頻度 → 積分

確率を初めて学ぶとき、われわれはこう計算する。起こりうるすべての場合の数を分母に、関心のある事象の場合の数を分子に置いた値が、すなわちその事象が起こる確率である。サイコロで偶数が出る確率は$3/6$だといった具合である。これは事象が起こる頻度に根ざした直観的な定義である。

$$ P(A) = \frac{|A|}{|S|} $$

しかしこの定義はすぐに限界にぶつかる。場合の数が無限であったり、$[0, 1]$区間から任意の実数を一つ選ぶような連続的な状況では「分母」が成り立たないからである。先に測度論で集合の大きさを測る方法を学んだので、今や確率を新しく定義する準備ができた。全体の測度が$1$である測度を確率と定義すればよいのである。そうすると確率は測度になり、期待値はほかならぬ積分になる。

「確率は全体の場合の数のうち事象が起こる割合である」

「確率は全体の測度が1である測度であり、期待値は積分である」

頻度主義 → ベイズ

確率の土台が変わったのなら、その確率を用いて世界を推論する態度にも別の分岐がある。頻度主義frequentismでは、母数を固定された未知の定数と見る。われわれの手にある標本は、その定数を突き止めるために偶然得られた一つの観測にすぎず、標本が大きくなるほど真実に近づくと信じる。まだ得ていないデータまで想像しながら「もしこの実験を無限に繰り返すなら」を吟味するのが彼らのやり方である。

ベイズBayesianは正反対の立場から出発する。母数そのものが一つの分布を持つと見なし、ただ今手にあるデータだけを見る。分析を始める前に持っていた信念、すなわち事前分布をデータで更新して事後分布を得るだけである。

$$ p(\theta | y) = \frac{p(y | \theta) , \pi(\theta)}{p(y)} $$

新しいデータが入るたびに昨日の事後分布が今日の事前分布となり、信念を逐次的に更新していくこの観点は、固定された真理を追っていた頻度主義とは世界に対する態度そのものが異なる。

「母数は固定された定数である」

「母数は分布に従い、その値はデータで更新される」

興味深いことに、この対比は先に見た古典力学と量子力学の関係と似て見える。古典力学と頻度主義は、われわれが知ろうとする対象(粒子の位置と運動量、あるいは母数)が一つの固定された値として定まっていると見る。一方、量子力学とベイズはその対象を固定された値ではなく、ある分布に従うものと見なす。まったく異なる二つの分野が「求めようとする値を分布と見る」という同じパラダイムの転換を通り過ぎてきたわけである。

既存の理論パラダイムの転換
古典力学: 位置、運動量は定まった値量子力学: 位置、運動量は分布(波動関数)
頻度主義: 母数は固定された定数ベイズ: 母数は分布に従う

古典的機械学習 → ディープラーニング

伝統的な機械学習では、人間のドメイン知識と直観が絶対的だった。コンピュータに道路上の歩行者を見分けさせるにはどうすればよかっただろうか。当時のエンジニアたちは、元データから有用な情報、すなわち特徴featureを自ら設計し抽出しなければならなかった。画像のどこでピクセル値が急激に変わるか(エッジ検出)、どの方向の明るさの変化が強いか(HOG)といった特徴を、人間が数学的に自ら考案したフィルタで抜き出した。そうして人間が丹念に削り出した数を受け取り、モデルはただ統計的な分類だけを行うにすぎなかった。過去のモデルがどれだけよく機能するかは、結局人間がどれだけ特徴をうまく設計するかにかかっていたわけである。

ディープラーニングはこの役割分担を覆す。どの特徴が重要かを人間があらかじめ決めてやる代わりに、人工ニューラルネットワークが元データから必要な表現を自ら学習する。たとえば畳み込みニューラルネットワークは、人間が手で設計していたフィルタに相当するものをデータから直接学習してのける。ニューラルネットワークがこれほど柔軟にデータに適合できる背景には、十分に大きなニューラルネットワークであれば任意の連続関数を望むだけ正確に近似できるというシベンコの定理がある。人間が特徴を削っていた場所を、データと最適化が代わって担うようになったのである。

「人が有用な特徴を自ら設計する」

「データから特徴そのものを学習する」


  1. 김성훈, 단백질 혁명 (2025) ↩︎